日経記事から二つほど・・・。

相場がちょっとだけ活性化して短期売買組の皆さんが頑張る中、権利日が近づいてクロス組優待族の皆さんが熱くなる中、バイ&ホールド組な私は何もすることがありませんのでしばらく株式投資は休業中。

書くこともなくて更新サボリ中の私に日経新聞様がネタを提供してくれました。




日経新聞朝刊の連載企画「森喜朗元首相に聞く」。

当時の裏話とか、まぁ当たり障りのない内容ながら読み物としてはそれなりに楽しめるものだったんですが。
今朝の内容はしれっと書いてますけど考えようによってはけっこうなインパクトかも。


福田政権での自民・民主大連立騒動の話についてです。

「福田氏は慎重でよい返事をしなかったので、渡辺氏が〜(中略)〜小沢代表との事前協議を頼んできた」
小沢代表「いまは参院選に大勝し、みな私のマジックにかかっている。だが、冷めてしまったら民主党はバカばっかりの党だからまとまらない。いまでなければ駄目なんだ」
「大連立で消費増税をやるのが一番いい」


渡辺氏ってのはもちろん読売のナベツネ氏のこと。
民主党はバカばっかり〜」は思わず笑ってしまいましたけど、消費増税の話はちょっとびっくりしました。
10年以上前の著作で消費税増税を主張していたけど今は状況が違うから反対・・・っていうならまだ分からなくもないですけど、ほんの数年前の、民主党政権誕生以降でも小沢さんは増税側の立場だったと?


つまり今、増税断固反対は文字通り国益度外視の政局のみ視点でのもの、ってことですよね。
・・・・・って、そんなこと日本人みんなわかりきってるかもしれませんけど(汗)。



あとは公明党関連で、
「小沢代表は『この際、公明党を連立から外したらどうか』と言ってきた。〜(中略)〜たぶん公明党を外した方がやりやすいと思ったんだろう。〜(中略)〜選挙制度改革で比例代表を外すといったのも事実上、公明党をなくすということだろう。利用するだけ利用して平気で潰していくから、小沢代表のそばの人はみな消えていくんだ」
と。

場合によっては大問題になりかねない内容、というか、よくこんな内容が出てきたな、というか。


これはどう解釈すべきなんでしょうね。

日経新聞、または森さん(あるいは他の誰か)が何かの意図をもって(小沢さんにトドメを刺す、とか)、わざとこの内容を流したのか。
あるいは、もはや小沢さんは名実とも完全に「過去の人」となった、つまりこの内容を流しても別に何の問題も起こらないよ、ってことなのか。


今後、この記事絡みで小沢さんや公明党から何かの反応があるのか、ちょっと注意しておきます。
(正直、何も起こらなさそうな気も・・・  ってことはやっぱり「完全にもう過去の人」ってことかな?少なくとも私の脳内では完全に過去の人ですし)



もう一つ、別の記事も。

「日曜に考える」のコーナーの、今朝のお題は「ナショナリズムに引導を 〜国旗・国歌なき五輪は妄想か」。

何か、いかにも「左」なニュアンスというか、「どこの朝日新聞ですか」って感じをすでに漂わせてる感もありますが。
(その先入観をもったままで読んだからよけいに、ってのもあるかもしれませんが)

記事はまず、フェンシング日本団体のウクライナ人コーチに始まり、シンクロ中国代表の日本人コーチ、韓国サッカー代表のフィジカルトレーナーの日本人などの話を紹介し、そうした外国人指導者の貢献もあって強くなった選手を「国旗と国歌で称揚し、獲得したメダルは国ごとに集計されて勝った負けた、目標に達した及ばなかったと騒ぐ。報道のあり方にも一因はあるが、不思議ではないか。一国の選手の勝利は選手だけの手柄にとどまらない。外国人コーチの手柄でもあるのだから」と問題提起を行い、それをナチスドイツとベルリンオリンピックなどの例も挙げながら「オリンピックを利用して国威を発揚し、自国の結束や存在感、世界に占める地位、他国への優位性を誇示する思想」、つまりナショナリズムへの問題提起につなげています。

「オリンピックは言ってみれば地球規模の大運動会である。グローバルの時代だ。せめてナショナリズムを克服することはできないものだろうか」と。



う〜ん。

正直、全く共感を覚えない・・・。

私はむしろ、五輪はナショナリズム全開でいいと思ってますけど。
愛国心、とか言うと「お前は右翼か」みたいな目でみられてしまうかもしれませんけど、別にそんな大げさなものでなくても、ナショナリズム自体は広い意味で言えば、人間の自然な感情でしょうし。

個人的に何の面識もなくても、自分と同郷の選手が出てれば応援する。
甲子園で母校でなくても自分の都道府県の高校を応援する、年明けの女子駅伝でも自分の出身県を応援する。
国際大会では自分の国の選手を応援する。

で、自分は何の関係もないし何の貢献もしてないにも関わらず、「同じ日本人として」感動を共有し、勝手に誇りを感じる。


何か問題あるでしょうか。


私はナショナリズムそれそのものには何の問題も感じません。
郷土愛の延長だとも思いますし、それは人間としてごく自然な感情です。


それが武力衝突とか、排外主義とかにつながるところまで行き過ぎればもちろん問題ですし、ナショナリズムが一歩間違えばそっち方面へ簡単に流れてしまいかねない危険をはらむ点は常に意識しておかなければならないでしょうけど、だからと言ってその自然な感情そのものまで否定的な目で見るのはいかがなものかと。

少なくとも、「ナショナリズムを全く感じない五輪」なんて、私には考えられないし、そんな五輪を見たいとも思いません。





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